このコンテンツは全国のパン屋さんにお話しを聞いていきます。
初回は北海道 忍路「エグヴィヴ」の丹野隆善さんにお話しを聞いてきました。
丹野さんの人柄に惹かれお願いしました。(今月と来月、2回に分けてアップします)
すみません、お忙しいところ
丹野
よろしくお願いいたします。
こちらこそ
丹野
遠いところ
丹野さんは山形の出身ですが、忍路を選んだ理由からお聞かせください
丹野
まず大学で北海道に来て、その流れで札幌のパン屋さんで学びました。その後、結婚して、妻とフランスとかドイツ、モロッコ、イタリア、いろんな国を周りました。パン屋とか、パンだけじゃないものも。
見てきたのは、食全般ということですか?
丹野
食も含め、美術館などにも、いろんなところを見て周った時に『あ、こういう暮らしもあるんだ』っていう…。パン屋の営みとしてそうやって薪でパンを焼いてっていう、そういう。フランスの田舎あたり行っても今は少なくは、なってて。
丹野さんが行かれた頃はそういう光景がまだ?
丹野
ええ、ありましたね。でも、毎回出逢えるわけではなくて、たまたま行ったマコンとかあともう一つ、ボケル、パン・ド・ボケールのサリアンっていう町とか、そういうところで、パン屋の景色として良いなというか。作業とかも。作業としてやっぱり…まず薪で焼いてるパン屋っていうのが『あ、こういうパン屋があるんだ』っていうことと、ポワラーヌは有名で知ってたんですけど。熱源として薪を使ってますっていうただそれだけで、昔ながらのオーブンっていうのをそういう熱源がたまたま薪でしたっていう、そういう窯で焼くっていうのは、本人…やってる人たちはそんなに気負いはないんですけど、でも作業的にはやっぱり電機とかガスのパン屋とは結構違うんですよね。
違いますね
丹野
やっぱり断続的にしか使えないっていう。常時設定してどんどんどんどん焼き続けられるものじゃないので、作業がどっと仕込んで…どっとっていうのもまた語弊があるんですけど。窯のリズムに合わせて生地をもっていって、そこでリセットをしてまたさらに…。生地はその前後して仕込んだりはするんでしょうけども、窯のタイミングで一回リセットして、また窯に火を入れて、また高い温度ではこういうのを焼いて、低くなったらこれをって。夜とかだったら自分の家の料理を、肉焼いたりとかサブレ焼いたりとか。やっぱりそういうふうに温度が下がっていく中で焼くっていうのも、なかなか日本だったらこの温度だからピピって上げたり下げたりって…。
機械を駆使するのとは違いますものね
丹野
自然の摂理に沿って、それに合わせて人が動いてっていう、そういうパン屋の仕事っていうのにすごく惹かれたんですよね。
修業されたパン屋さんは電気オーブン?
丹野
そうです。普通のパン屋さんだったので。
エグヴィヴのルーツは奥様との旅にあったのですね
丹野
そうですね、そういうパン屋に憧れました。じゃあ、それを実現するのにはどうしたらいいかっていうことになるわけですよ。札幌で修業してた頃漠然と言ってたらしいんですよ、将来の夢は田舎の方でのんびりとパン焼いて、野菜作ったりなんだりしながらパンを食べてもらったり、みたいな話はしてたんですよ。でも、いよいよ薪で焼くってなった時にやっぱり…。うちの何軒か隣に学生時代から知り合いで、お世話になってる陶芸の方が居るのですが、その方は自分で薪の窯を作って年に一回陶器を焼くんですよ。そういう話も聞きたいと思って忍路に来てましたし。忍路っていうのはだからだいぶ前から知ってたので。『あぁ、海もあって山もあって、ああいうところいいなぁ』なんて思いながら。でもやっぱり実際薪で焼くってなると、火を焚いたりするのに煙の問題とか。20年前なんですよ、ちょうど。あんまり薪ストーブって言っても本当一部でしたし当時は。今ほどなかったと思うんですよね。僕も若かったので、そういう知り合いとか、あるいはそういう文化が周りにありませんでした。
ないですよ 笑
丹野
24~25歳ぐらいの話なので。でもやっぱり薪を焚くっていうことでの迷惑にならないとか問題にならなそうな場所、この辺も百姓クラブとかいって変わったお百姓さんが結構いらっしゃるんですよ。そうすると…。
はい はい
丹野
薪を乾かすのに結構やっぱり場所いるなぁとか、1年分乾かさなきゃなぁとか、いろいろそういう問題もあったりして。そうなってくると…。
いよいよですか
丹野
ええ、その頃子供ができて、朝起きたらハイジみたく裸で寝てた子が白いシャツをバって着て、坂をわぁっ〜って駆け降りるような、そういう生活が出来たらいいなぁ、みたいなのもあって。
理想ですね、それ
丹野
子育てすることとか、あと自分たちがどう生きていくかとか、店がこんな風にできたらいいなぁなんて思って。でもやっぱり土地買って家建てて…みたいなことはなかなか難しく、空き家で探したらたまたまここに家が。
借地ですか?
丹野
借家ですね。土地と建物があって、その土地も結構広くて、みたいな感じの物件を探して。でも不動産屋さんとか通すとやっぱり高くなるので、町によって…ここは近所の方にいろいろお世話になりまして。
地域の方がこの辺りを守っているのですかね
丹野
そうですね。今はこの辺りも徐々に環境整備されてきてはいますけど。お客さんにとっても我々にとっても、いい環境とか作業しやすいとか安定しやすいようにとか、そういうふうなのを目指しながら20年間かけてやってきたんですけど。お恥ずかしい話、やっぱり綺麗になったりそうなるのが全て良いのかっていうことも今更気付かされたりもしています。よく言われるんですよ、『昔の、前のああいうのがよかったよね』って。僕らからしたら、家が古いので正直そういうのは、もう泣く泣く現状甘んじてたみたいなところもありまして。
現実的な問題ですかね
丹野
ありますね。寒いとかだけではなく古い家ですから、窯だって外で管理して、さすがにそういう環境は…お客さんは良いんですね、あれが良かったって。
言われちゃいますか
丹野
環境整備っていうのは何より切実に大事なことだと思ってましたけど、雰囲気としてああいうちょっと間抜けな、垢抜けないのが…だからあえて、あざとくそっちに向かうのも嫌だし、今はひとまずより良い方向を目指して環境整備をして。そこから、じゃあどう崩すか、みたいな感じではありますけどね。今後の話ですが。
この形になって何年ですか?
丹野
まだ3年です。だから難しいんですよ。正直密度感とか。前は嫌でもちっちゃい…そこをどう使うかっていって適度な密度感になってたって言われちゃうし。だけど僕らからしたらね、もうちょっとやるべき場所、とるべき場所っていうかスペースがちゃんと確保されて。
3年ではまだ試行錯誤かもしれませんね
丹野
そうなんですね、受け入れて欲しい気持ちもあるんですよ。だけどまぁ、おっしゃることももっともだよなぁなんて思ってはいます。
でもこれでも私は十分だとは思いますけどね
丹野
だからその抜け感とか。
「垢抜けちゃったよ、エグヴィヴ」って
丹野
だからそれがね…
そうですかね〜
丹野
人それぞれなんだと思いますね。そういう前のエグヴィヴが好きだったとか。確かに窯に関しては素材なのか、レンガとかそういう素材の力なのか、あるいは中で火を焚いてた…薪を中で焚いてたっていうのの違いなのか、窯も7~8年経って自分で組んだ窯のレンガがボンって落ちたんで、グランメールを入れて、こういうふうになったんですけど。でもそれもやっぱり僕ら毎日パン焼いて買っていただいてそれで生活できてるんで、前の窯がガタつき始めた時は、明日パン突然焼けなくなったらどうしようって。家族もいるし、スタッフはいなかったんですけど、家族路頭に迷うなぁ、みたいな。そこは切実ですし、窯の素人ですからね、窯の素人が窯のことでここまで心配しながら、同時にパンをプロの仕事としてやるっていうのは、ちょっと矛盾してるんじゃないかっていうか。なんかむしろそこに神経使うより、もうちょっと安全な安心して使える…安心安全の使い方がちょっとうちの場合は微妙に違うんですけど。まさにでも切実だったんですよ、そこは。だからそこをやろう…だから僕らなりにそこはパンに集中したいと言う思いで。
おいしいパンありきってことですかね
丹野
よりそれを安定して、とでも言いますか。それがお客さんのあれになるんじゃないかと思って頑張ってきたんですけど、日々。
いやいや、これからお客さんに伝わるんじゃないですか?
丹野
抜け感をね、もっと上手に。そこはたぶんすごいあれなんですよ、上手に抜け感を演出っていうか抜け感を提供するっていうのはたぶん高度なんですよ。
そうですね。感性ですかね
丹野
もありますし、我々が演出するにしてもそこはかなり高度な部分なんだとは思っています。
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